ヒトと地球の健康のために(ファルマシア, 2009)


北海道大学大学院医学研究科 微生物学講座免疫学分野  瀬谷 司

究極の創薬は不老不死だ、と思う。しかし、昔から不老長寿を目指す皇帝はたくさん現れて、片棒担ぎは ペテン師扱いされてロクな目に遭っていない。歴史を知ると創薬は危ない、と思う。現在は審査機構が変に 厳重でいかがわしい製剤は薬事審議会をパスしないし、経費負担が半端でなく会社が持たないらしい。サイ エンスで言えば、代謝を極限まで抑えた冬眠状態の‘延命’やクローン技術の発達による‘再生’は(その 倫理や法整備はともかく)もはや科学者にとっては夢ではない。が、奇しいから簡単に認可されないだろう。 無いものを創り、人を納得させるのは難しい。それで、創るのではなく在るものを活用する、「自然免疫」 と健康を考えてみる。

ヒトが生存するとは自然と不可分な生態系に組込まれている状態を指す。健康とは地球環境から酸素を毎 分10余回、水分と有機物を数時間ごとに摂取・排泄して自然と平衡することを厭わない、というより無意識に 行う、ことである。生身で地球を短時間でも離れると死が迫る。生態系との接触はヒトに限らず地球に依存す る生物全体に遍く提示される生存の必要条件である。この条件を故意に怠ると自殺と言い、不慮に隔離される と病気と云う。天寿の前に環境が重たく感じる場合、ヒト側の適応調節をリセットするという方法がある。自 然免疫はこの適応調節の1つの戦略である。

自然免疫もその生物学的機能が科学として自覚されてから10年程度。病原微生物や発がんに免疫の関与は 古くから語られてきたが、その概念が科学で説明されてからは間もない。しかし、今や多くのパターン分子と 認識レセプター、樹状細胞とマクロファージに代表される細胞群の微生物認識機構が感染病態や疾患の中に取 り込まれて理解されようとしている(各論のレビュー参照)。これらが生命の快適な維持のために極めて重要 で、がん、糖尿病、易感染性、など生活習慣病に深く関わることは間違いない。高齢になると健康食品、漢方、 アジュバントなどこれまで‘そっぽ’だった物質の「快適天寿」への関与を問うことになる。その分子機構や 評価系を含めて整備することは急務であり、既に在る系を快適にリセットすることは分かり易く危険が少ない。

しかし、呼吸の度に吸い込まれる何万という微生物や腸内の膨大な細菌群が健康と病態の間にどのような 平衡関係にあるのだろうか?例えば腸管内の細菌叢を持たないgerm-free マウスは回盲部が異常に肥大して摂 食不能になる。その一方で細菌叢を壊すとAPC変異によるポリープ性大腸がんは発症しなくなる。自然免疫の 理解は、宿主と微生物の接触はすでに空気のようにヒトと不可分であることを我々に教える。空気を無くして 「健康」は無い様に、微生物の生態系に適応し得ない状況に天寿はない。待てよ、と思う。理不尽に発症する 生活習慣病のかなりはヒトのせいでなく環境のせいで起きるのではないか?

かつて大型の多細胞生物が単一種で65億個体以上地球上にはびこったことはなかった。ヒト種の存続が地球 史にとって重要な課題かどうか私には分からない。しかし、地球はヒトの存続のために生態系を組み直す過程 にある。病んでいるのはヒトではなくヒトが荒らした地球であった、という事実のために生活習慣病が蔓延り、 ヒトの自然免疫をリセットする必要が生じているかも知れない。ともあれ自然免疫は日常の平穏な生活に適応 する仕組みである。変わる地球環境に再適応を模索することも已むを得ない。